オニムゲームの歴史はそんなに古くはありません。
1945年(昭和20年)に終戦となり世の中が大変な時代に京都で生まれた一つの玩具です。
終戦直後ですから世の中に娯楽などあるよしもなく、食べる事が精一杯の出来る事でした。
そんな中、当時のアメリカ進駐軍がビリヤードを娯楽の一つとして日本に持込んできました。
それまでにも日本の一部の方々の間で知られていたかもしれませんが、一般の庶民の中でビリヤードの様な娯楽用具を知る者はおりませんでした。
そんな折、京都駅周辺の住民たちが進駐軍のビリヤードを楽しんでいる姿を見て、自分達もやってみたいと思うようになったのが始まりです。
当時、ビリヤードのことを「撞球」と称していました。でもこれを購入するなんて事はとても不可能です。
そこでこれと同じ様なのを作ったのが「撞球盤」(どうきゅうばん)です。
当時の技術でビリヤードの台や玉を作る事は出来ませんでしたので、台は木製で90cm四方に囲み四隅にポケットを設け、球はスコップの柄を切って丸く平らなものとしました。
当時は沢山の人達がこれを囲んで楽しんだと思われます。
しかし、時が経つと「撞球盤」は「とうき盤」「玉つき」などと呼ばれていましたが他の娯楽施設が生まれて次第に下火になっていきました。
ところが、その後も町の一角では細々と息づいていたのです。
ただし、ここで申し上げますが私が全てを知っている訳ではありません。
推測によるところも多分にありますことをご了解下さい。
それが、1966年(昭和41年)になっていても一部で盛んに「とうき盤」「玉つき」として一般社会人が楽しんでいた事には大変驚かされました。
私は終戦直後の生まれですから、その頃に流行っていたゲームが今まさに現役で遊ばれていた事です。
そこで、こんなに面白く長続きしているゲームを全国の子ども達に教えてあげようと思い立ち活動を始めました。
もう35年経ちますが今も元気に活動を続けています。
今は、全国の児童館や小学校で楽しんで頂いておりますし各地でオニム大会の開催もされております。
今後さらに活動の輪を広げて子ども達の元気に遊ぶことに頑張って応援したいと思います。
現在も何台かを全国の児童館に「オニムゲーム」の寄贈を行っております。
オニム倶楽部
西村秋男